卑弥呼の墳墓を発見: 邪馬台国は半島に (歴史書)
本, 茅 出彦
によって 茅 出彦
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約10年前、半島の山奥で百人近い殉葬者を持つ墳墓がある事を知った。卑弥呼の墓と閃いた。なぜこんな所にあったのかを追及して完全に確認した内容がこの本です。歴史の専門家が称える邪馬台国は大和でも九州でもありません。日本には倭人が中国からやってきて倭人の国だったが、最初にできた倭人国は半島先端、金海にできた伽耶(加羅)国でした。鉄が取れ、貿易によって繁栄したが、列島に住み易い場所がある事が分かり移住する人が増えた。列島にはスサノオが開いた出雲の国があって繁栄していた。天照神の6代孫の時代、主家筋の天照系の人がオオクニヌシに国を譲るように要求した。話し合いにより協議が成立して天照系の人々は天孫降臨見られるように主要な人々が列島に移動した。一方出雲の政治や軍を動かしていた幹部連はスサノオの出身地高霊の地に戻された。狭い場所に大量の移民者が押し寄せ、大混乱に陥った。これが何十年も続いた倭国の大乱です。こ問題を解決したのが若い女実業家ヒミコであった。金海で鉄がコインとして通用していることに目を付けて山奥に製鉄所を開設した。仕事にあぶれた大量の人によってこの事業が成功した。この鉄を使って農業生産性が高くなり高霊は豊かな場所に変貌していった。さらに兵隊も鉄で武装して新羅や百済を従えるような強力軍事国家になった。人々はヒミコが仕事し易いように女王に推薦した。死亡した時には彼女を感謝で見送り百人もの殉葬者が自ら墓に入った。この後高霊の地は大きく栄えて「大伽耶国」に成長し伽耶連合国の盟主になり倭国の中心が金海から高霊に移動した。魏の皇帝もこの事実を把握して自国の防衛のため卑弥呼を持ち上げて便宜を図った。 一方ヒミコの仲間であった主筋(大国主につながる)王子のツヌガ・アラシトを鉄の交易拡大を目的に列島に派遣した。彼は但馬に居を構えて近畿方面に鉄を運ぶための航路を開発した。これによって鉄が大量に関西に流れ込み工事などが効率化されて各地の開発が進み大型古墳が林立するような状況を作り出した。彼らは蘇我系につながる人々であり5代、6代孫の時代には日本武尊(仲哀天皇)など初代大和朝廷を作り上げた人々が排出した。卑弥呼は直接列島には関与しなかったが関西地区および日本列島を鉄によって豊かにした偉大な女王であったわけです。
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「卑弥呼の墳墓を発見」卑弥呼の墳墓を発見: 邪馬台国は半島に (歴史書)茅出彦氏は日本古代の真の歴史を発見しました。今までに邪馬台国に関する本を多数読みましたが、確定した場所が不明瞭で、疑問が残りました。この本は具体的にここだと断定し、具体的な数字をすべて検証しているので疑いようがありません。卑弥呼の古墳の大きさを直径ではなく円周(半周)の長さであると解釈した点や南北の方位問題を倭人伝の著者である陳寿がいた場所からの判断だと説明ができるなど、従来の疑問点をみごとにクリアーしています。また、重要な論点では古代の地図を多用して説明しています。さらに倭国や秦氏の出自から説き起こした広い視野や、2000年ほど前の気候を考慮した広い時代感が大局を見失わないで結論を導く原動力になったと思われます。歴史学者は見直しを迫られます。大化の改新という大ウソつきの歴史がまかり通ってきたのは、焚書によって都合の悪い歴史書を灰にした当時の為政者の悪事がなせることだと思います。それは現代にも当てはまるのではないでしょうか?
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